責任に焦点を合わせるのが自己実現の近道

「責任に焦点を合わせるとき,人は自らについてより
大きな見方をするようになる。」
非営利組織の経営P211

責任に焦点を合わせるといっても,あまり物事に関わ
りたくないとか,重すぎる責任は負いたくないという
意見が出てくるかも知れませんね。

しかし,責任を負わない生き方をするとどうなるので
しょうか?

マズロー欲求段階説によれば,安全欲求は完全に満
たされ,所属欲求も完全ではないにしろ,かなりの部
分が満たされています。

最後に残るのが,認知欲求と自己実現欲求です。
われわれ日本人は,本人が意識しているか否かに関わ
らず,これらが満たされないと無気力になり心理的
不安を覚える段階に来ているのです。

もしかしたら,趣味によって,責任から逃れられるか
に思えるかも知れません。
ところが…

「仕事以外のものに生きるには,かつての貴族のよう
に,子どもの頃から慣れていなければならない。」(断
絶の時代第13章 第二の人生)とあるように,残念な
ことに,われわれの多くは,貴族社会から縁遠い暮ら
しをしていたので,趣味だけに生きることはかなり難
しいということですね。

そもそも,趣味に生きるためには,かなりの経済力
がないとダメですから,庶民には難しいのです。

とはいえ,責任をいうとなぜかプレッシャーを感じて
しまいますが,ドラッカーのいう責任とは,我々が通
常感じる責任をちょっと違います。

人の信頼にこたえるために行動するという意味での
責任です。

まさに,これがマズロー欲求段階説による認知欲求
自己実現欲求を実現していくプロセスですね。

あまり物事に関わりたくないとか,重すぎる責任は負
いたくないと思うのは,自由です。

これによって,プレッシャーから上手く逃げたように
思えるのですが,実はその逆で,無意識のうちに自分
のクビを絞めて潜在的な自分の欲求が満たされない
ということですね。

責任を負いたくないけど,周りから認められたい
というのは,あまりにもムシが良すぎる話だとい
うことです。

しかし,そのムシが良すぎる話を追い求めるのが
人間の悲しい性なのでしょうか?

結局,ムシが良すぎる話がうまくいかないから
周囲に当たり散らすとか,違法薬物に手を染める
とか,自ら命を断つといったケースが多くなって
いるように思います。

自分の帰属している社会が,どのような社会であり,
自分自身に何が求められ,何を持って満足するのかを
考える必要があるということですね。

われわれの社会は責任から逃れることは出来ません。
責任に焦点を合わせることが自己実現の近道という
ことですね。

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